<歌詞和訳&歌詞解釈>Don’t Look Back In Anger / Oasis

don't look back in anger和訳と解釈

歌詞の和訳

心の中の覗いてみるんだ
そうすれば演奏するのにもっといい場所がみつかるかもしれないよ
そんな場所なんてなかったなんて言ってたけど
見たものなんて段々と消えていってしまうもんだぜ

だから俺はベッドの上で革命を起こすよ
だって俺のことをうぬぼれ屋って言っただろ
さあ外に出るぞ、夏はこんなに
満開だ
ほら暖炉のまえから立ち上がれよ
しょぼくれた顔してないでさ

そんなんじゃ俺の心を動かせないぜ

サリーは待ってくれていたんだ
俺たちの歩みが遅すぎるのを知っていたのに
彼女の心は離れていったけど
そのことを怒ってはいけないよ、と君が言ったんだ

君が行くところに連れて行ってよ
陽が当たるところでもそうじゃなくても

誰も知らないような場所にさ
お願いだから
全部投げ出しちまうようなバンドには入らないでくれよ

だから俺はベッドの上で革命を起こすよ
だって俺のことをうぬぼれ屋って言っただろ
ほら外に出よう、夏は満開なんだから
暖炉のまえから立ち上がれよ
しょぼくれた顔をしてないでさ
そんなんじゃ俺の心を動かせないぜ

サリーは待っていた
彼女は自分の歩みが遅すぎるたのに気がついていたんだけど
俺の心は離れていったんだ、でも
そのことを怒ってはいけないよ、と君が言ったんだ

まあ、今日の話ってわけじゃないんだけど

歌詞の解釈

 サリーって誰?

 この曲を聴いた人はみんなそう思います。きっと。
 私もこの曲を初めて聴いたときからずっと気になっていましたが、いつかきちんと考えようと思って、結局ほったらかしになっていました。

 曲をつくったノエル・ギャラガー本人が、歌詞(とくにサリーキャンウエイトの部分)に意味はないと言っているのをどこかで読んだことがあります。若い頃はそれを鵜呑みにしていました。なんだ、意味がないのか・・・と。

 今に始まったことではないですが、自分の愚かさにはつくづく苛立ちを覚えます。
 意味がない? そんなわけないのに。

 もし仮に本当に思いついた言葉を羅列しただけの歌詞だったとしても、意味がないというのはあくまでノエルの解釈です。聴き手がそこに意味を見つけることは自由ですし意味はきっとあります。本当の天才は自分の意識が及んでいた以上のことで他人に影響を与えることができるのですから。

 個人的にはノエルが意味がないと言ったのはサリーという名前についてだけだと思っています。つまりメロディにさえあえばブレンダでもメアリーでもアレクサでもよかったということです。考えるべきは、サリーがどういう対象を表現しているのかということです。

 前置きが長くなりました。この曲の意味について考えていきたいと思います。  

Slip inside the eye of your mind
Don’t you know you might find
A better place to play?
You said that you’d never been
But all the things that you’ve seen
Slowly fade away

 何かがうまくいかなくて悩んでるように思えるYOU。この曲の語り手がそのYOUに語りかけるように曲が始まります。

 キーワードは”play”です。

 playするのに今よりましなところはみつかったかい? と語り手が聞くわけですが、このplayの意味が単純に「遊ぶ」なのか、それとも「演奏する」なのか、はたまた「何かを演じる」なのか、意味の捉えによってこの曲全体の解釈が違ってくるように思います。

 私が考えたイメージはこんな感じです。
  遊ぶ   → 恋人同士の物語
  演奏する → バンドの物語
  演じる  → 自分の成長の物語

 どれが正解でどれが不正解ということはないのですが、私は「演奏する」としました。詞全体を通して物語を考えると、バンドの物語が一番しっくりくると考えたからです。物語を恋人や自分自身とした場合、断片のパッチワークになってしまう気がして・・・。


 あまり売れていないバンドマンの語り手とYOU。
 気持ちが沈んでいる仲間のYOUに、語り手が諭すように問いかけます。ただ、問いかけている語り手の目の前にYOUはいないように思います。バンドがうまくいかないことで口論になった後、火照った感情を冷ましながら、頭のなかでYOUに語りかけているような、そんなイメージです。

So I start a revolution from my bed
‘Cause you said the brains I had went to my head
Step outside, summertime’s in bloom
Stand up beside the fireplace

Take that look from off your face
You ain’t ever gonna burn my heart out

 YOUにうぬぼれ屋と言われた語り手は、俺がベッドの上で革命を起こすんだと誓います。

 ベッドの上で革命とはどういうことか

 平たく言えば、ベッドに座ってギター片手に作曲するのです。誰もが認める素晴らしい曲をつくって世の中をひっくりかえしてやる。語り手はそう息巻いているのです。

 だから…

 落ち込んでないで立ち上がれ、中に閉じこもってないで外に出ろよ、とYOUを励ますのです。
 そんなことじゃ俺がつくる曲を演奏できないぞ、と。

And so, Sally can wait
She knows it’s too late as we’re walking on by

Her soul slides away
But don’t look back in anger, I heard you say

 そして唐突にサリーが登場します・・・何の前触れもなく。

 この曲を聴いた多くの人はここで混乱して思うわけです。
 サリーって誰?

 私の答えは、誰でもない誰かです。

 誰でもない誰かとは、バンドの曲を聴く不特定のファンです。私のなかでは、J.D.サリンジャーの小説『フラニーとゾーイ』に登場する「太ったおばさん」のようなイメージです。(どこかの家の庭のポーチに座ってラジオを聴いてる、太っていてたぶん癌を抱えているおばさん。送り手からは見えないけども、どこかで耳を傾け応援してくれている存在のことです

 サリーはバンドが結成した時期からいる古参のファンの象徴で、たとえ曲が売れなくても彼女のような存在のために、バンドは必死に曲をつくって、手を抜かず演奏してきたのです。

 だけどそんなサリーたちのなかにも、離れていってしまう人が現れてきます。

 曲は売れない。サリーさえもいなくなっていく。バンド内での衝突は頻繁になり激しさを増していきます。
 バンドは存続の危機に立たされます。

 フラストレーションが溜まり、何かにつけて当たり散らかしたい語り手。

 だけども、そんなことを怒ったって仕方ないだろ、とYOUが語り手を諭すのです。
 怒りで未来が閉じてしまわないように。

Take me to the place where you go
Where nobody knows if it’s night or day
Please don’t put your life in the hands
Of a rock ‘n’ roll band

Who’ll throw it all away

 バンドを去ろうかと思い悩んでいるYOU。そのことを感じとった語り手は悲しみ、心のなかで懇願します。

 行かないでくれ、一緒にやろうよ、と。

 語り手はYOUとバンドを続けていきたいのですが、自身のプライドが邪魔をして、そのことを面と向かっては言えませんできることは、もし本当に別れることになったときのことを想像して、YOUの行く末を心配するだけです。語り手のYOUに対する愛情が垣間見えるのです。

And so, Sally can wait
She knows it’s too late as she’s walking on by
My soul slides away
But don’t look back in anger, I heard you say

 再びサリーが登場します。ただし、今度はサリーがバンドに追いつけなくなっているのです。バンドは人気になり、いつの間にかサリーを追い越してしまったのです。つまりは、

 ベッドの上から革命は成功したということになります。

 バンドは成功し広く世間に受け入れられたわけですが、一方でサリーたちのような古参ファンのなかには一部、その成功を求めていなかった人もいます。バンドがいつまでも自分だけの存在であってほしいと願う人たちです。

 語り手は自分たちについてきてくれなかったサリーたちを残念に思い、苛立ちを覚えるのですが、またしてもYOUに諭されるわけです。そんなこと思い出して怒っていても仕方ないだろ、と。

At least not today

 最後に、囁くように、この物語が過去の話だったことが示されて終わります。

 個人的に、なんでこの最後のフレーズが必要だったのかなと長年思っていましたが、今回この歌詞の意味を考えてみてわかりました。

 苦しかった過去を、怒りという強い感情とともに振り返る行為は、過去にとらわれて生きるということと同義です。心が過去に閉じ込められると、いくら現在を生きていても未来に進むことができません。なぜなら未来に進むための「今」の時間が消失してしまうからです。もうなにも変えることができない過去に費やす時間が多くなれば、必然として「今」の時間は減っていきます。それはどうにでも変えることができるはずの未来が希薄になっていくということなのです。

 そうなってはいけないよ、未来に向かうために「今」をきちんと生きるんだよ、というのがこの歌詞のテーマとなるわけです。

 最後のフレーズに話を戻すと、つまりは、語り手は昔、心が過去にとらわれてしまって身動きがとれなくなってしまったことがあったのです。でも今はそうじゃない。YOUが救ってくれたおかげで「今」を生きることができるようになったのです。その時の感謝をこのワンフレーズに込めて表現しているのです。

 

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